先生へ

27になって、高校の時の担任が(おそらく)何気なく放った言葉を度々思い出す。

 

「あなた達にとってはさ、30歳とかってすっごい大人というか、むしろおじさんやおばさんに見えるんだろうけど違うからね。30なんてまだまだ子供だから。」

 

30になったら分かるよ。

 

英語の授業中だったか、ホームルームの時間だったか、もう思い出せない。けどそう言いながら先生が窓際でにっこり微笑んでたことは思い出せる。

 

ふーん、としか思わなかったのに何故か覚えてるんだけど今なら分かる。だって今の私、ふーんって思いながら聞いている私とほとんど変わってないから!

これ、70とかでも同じ感想だったらどうしようねって時々思う。子供のまま、ただ時が経って心はずっと追いつかねーのかな。でも70になっても高校生のときと本質は全然変わってなかったらそれはそれで面白いのかも。ずっとみんな、大人になったふりしてるだけなのかもね。愛おしいやん。

 

大人になったからって、急に税金の仕組みや保険のあれこれが分かるわけじゃないし冠婚葬祭のマナーも調べなきゃ未だに分かんない。ただ人間として過ごした累計の時間が自動的に増え続けてるだけ。

 

 

けど、大人になって許せることは増えてきた気がする。

例えば、小さい頃の母親の何気ないひと言とかに傷付いてささくれみたいになってる思い出とかさ。あん時まだお母さん32とかだったんだよなって思うとそりゃ言葉選び間違うよな、とか。働かないダメな父親に見切りつけてそれでもお兄ちゃんは会いたいって泣くし、専業主婦だったのに働き始めて余裕もなくて、本当に死にたかっただろうな。地獄だっただろうな、とか。

そう思うと、記憶の中の私を傷付けた当時の母を抱きしめてさ仕方ないから許してあげるって思うのよ。んで、小さい頃の私も抱きしめて、大人も間違えるときがあるんだよ、でもお母さん絶対あんたのこと大好きだから大丈夫だよって言ってあげれるようになったのよ。もうアラサーだから。

 

 

そういえば、ちょっと前まで、異様に歳とるの怖かったな。

まだ22のくせにもう22だよ!?とか騒いだり。女はクリスマスケーキって言われるような時代は過ぎたとはいえ若さの貴重さは分かっていたし、私は恋愛もまともにしていなかったから時間という不可逆なそれを無駄にしているような不安もあった。

 

 

だから私、アラサーの今の方が人生楽しいかも。

年増の負け惜しみと解釈されるかもしれないけどさ。

 

なんか、若さから徐々に解放されて自分の容姿を(嫌いだけどそれはそれとして)愛せるようになってきたし、チョコ食べすぎてできたニキビもちょっと前なら食べたこと後悔して病んでただろうけど今は美味しかったからいいや!って思えるし。

お化粧も髪の巻き方も経験積めば積むほど上手くなるから、家出る時に今日の私極まってるな!と思える日も増えてきた。

 

 

こうやって書いてると、変わってないようで少しずつ私も変わってるんだろうね。

 

 

高校の時の担任は、今年結婚して県外に移り住んだらしい。これから先も先生があの時何気なく放った言葉を思い出しては本当にそうですよねえと頷くんだろうな。劇的なことはない人生だけど、先生のくれた言葉は伏線になってて人生おもしろいなって思ってます。どうかずっと、お幸せに!